太平洋戦争末期の昭和19年、戦局を逆転するため、人間を一人搭載できるように 魚雷を改造し潜水艦から発射、敵艦に体当たりして轟沈させる戦法が考えだされた。 山口県の徳山市大津島に基地が出来、全国から志願して集まった搭乗員たちの 訓練が開始された。 続いて光、平生、と訓練基地が開隊し日出の大神には20年4月に大神突撃隊として、 2000名の配属があり大神基地が発足した。 海岸部の広大な土地が、強制的に買い上げられ、基地を建設、 厳しい訓練が開始されたのである。 「回天」と名付けられた魚雷は九三式三型魚雷(酸素魚雷)を改造したもので広島県呉で 製造された。 九三型魚雷は、直径61cm 重量28トン 時速90kmで疾走する無航跡魚雷で、 駆逐艦に搭載されていた。この酸素魚雷を改造して、 直径1m、全長14.7m排水量8トンで、魚雷の本体に外筒を被せ、酸素タンクの間に 一人乗りのスペースを設け、簡単な操船装置や調整バルブをつけ、襲撃用の潜望鏡をつけた。 炸薬量を1.5トンとし、最高速度時速55kmで23kmの航続力があった。 昭和20年8月2日、大神基地から「回天8基とともに隊員8名が愛媛県麦が浦へ 出撃のため進出した。 昭和20年8月15日終戦とともに解隊となったために大神突撃隊から戦死者は出ていない。 終戦とともに基地内にあった回天神社は住吉神社境内に移され、 地区の人たちが御祭りするようになったそうです。


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